こんにちは。たーさんです。
今日は、大学受験の目標である大学へ入学するメリットについて
考えてみたいと思います。
タイトルにしていたなんなのですが
僕は「頭のいい大学」という表現は好きではありません。
ともかく、入試勉強をしている受験生にとって
試験本番に失敗しないか
倍率が高く偏差値の上の大学でないと世間体が…
受験に失敗したら予備校や模試の費用がもったいない
など、さまざまな不安が付きまとうと思います。
その一方で
やる気が出ないし、自分にバイタリティもない
集中できない
目標もない
頑張れない
大学に行く意味が分からない
など、僕の身の回りでも
受験勉強に対してモチベーションに悩んでいる人を多く見てきました。
モチベーションは、受験勉強に限らず
会社の仕事・ビジネスでも、資格の勉強でも何にしても重要です。
モチベーションがないこと自体に
悩むことだけでもエネルギーを消費します。
僕自身、相当心配性なので、どんな試験でも
前日にストレスでなかなか眠れないということがよくありました。
最終的に願書を出す大学を決めて受験するわけですが
大学にいくメリットって?
「最低でもマーチ」とか、いわゆる「いい大学」にいく意味とは
なんでしょうか。
究極的には、入学した大学で
せいいっぱいがんばればどの大学でも同じ、ともいえると思います。
個人的には、こういう考え方も嫌いではないです。
ただそれも大学に行くのであれば勉強に対して行動を起こした後の話。
最終的には、入った大学でどうがんばるかが重要だとしても
受験勉強をすると決めたのであれば、よい結果を出さないよりは出した方が
よいに決まっています。
そのうえで、以下にできるだけ「いい大学」といわれている
ところにいくことのメリットを考えてみます。
一つはこれからの人生の質を高めるうえで
4年間を過ごす基準値を上げる、ということだと思います。
いわゆる「偏差値の高い大学」といわれるところに入学した学生は、
基本的に人生で目指すところの意識や基準値の高いことが多いと考えられます。
難関といわれる大学に合格するというのは
決して少なくない膨大な課題の解決能力
要は「ちょっとやそっとじゃできないことをした」
という証明と自信にはなり得ます。
人生で何かやってみようと思う時に、
周りの意識や能力が高い方が、いろいろな意味で刺激になりますし
自分と比べて悔しさを感じたり、危機感をおぼえることも
次の行動を起こすための原動力になります。
何事も、自分だけで完結するよりは
迷惑をかけない程度に他人を利用して
刺激を得る方が、人生そのものへのモチベーションを高めやすいです。
「人生によりよいモチベーションを得られる環境づくりのために
志望校は高い目標を設定する」
という考えが大学受験で偏差値の高い大学を目指す理由として
一番正確ではないかと、今は思っています。
それ以外のメリットとして、偏差値の高い大学の方が
世間体もよい、異性にもてるという動機でも
本気で勉強に取り組むモチベーションになるのであれば
どんどん利用するのもよいと思います。
前の記事でも書きましたが
試験勉強というものは、問題解決能力・タスク処理能力・事務処理能力
をみている、という側面が強くあります。
まず行動を起こして
「そこまで行ってみなければわからない」
というものが人生です。
そのためには、使えるモチベーションは何でも動機づけに
利用してよいと思います。
追記:
「頭のいい」学校に入ったからといって
その後は、行動しないというのパターンの方が質が悪いように思います。
(僕自身、引きこもりをしていたのでその時の自分が嫌いということでもあるのですけれども)
ただ、一度、周りにすごい人ばかりの環境に身を置くと
なんだかんだ周囲から刺激を受けて、復活する人も多くみてきました。
「あいつも頑張ってるから、俺もがんばろう」
みたいな。
その意味でも、意識のレベルの基準値の高い環境に
身を置くのは、それだけで意味があると思います。
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