こんにちは、たーさんです。
今日書く話は、生死をわけるとかおおげさかと思うかもしれないけどガチです。
自分の欲望を知れると、人生に入る活力が段違いになります。
対して、自分の欲望に目をつぶっていたりすると
「人生なんてどうでもいい」という発想になり、精神的にも活性が落ちます。
そういうマインドであれば、自分を鍛えずに体も弱るし
冗談抜きで死ぬ可能性も高まる、というか、人生自体に価値を見出せない精神状態に
なりかねません。
かつての僕が、まさにそんな感じでした。
学校でいじめられて、成績も悪く、体も弱い。
何をやってもダメダメだと思ってすべてを諦めていました。
いま思うと、本当にくさっていたと思います。
よく「諦めたら試合終了」といいます。
人生で諦めたら本気で人生終了です。
僕は、何かをきっかけにして、諦観から抜けだすきっかけになったのは
・僕の場合は、そのうちの一つがすごい人と会う
・すごいと思える登場人物が出てくる漫画やアニメを超真剣に読む
・上の二つ以外にも、とくかく自分の欲望を深堀する
これです。
特に、自分がすごいと思える人をリアルで見つけるとまじで強いですよ。
「こういう人になりたい」って、超強力な欲望ですもん。
当然、刺激も受けられるし、憧れは、自分を思い描く将来の具現化にもつながるし
しかも、そういう目標となる存在が目の間にいるとなると、即学んで行動に移せます。
100%、完全無欠の神のような存在(実際それに近い人もいますが)、
でなくてもいいんです。尊敬する人って。
僕にとっては、その人のようになれたら、確実に人生が劇的に変わる、
と思える人かどうか、それだけですね。
「だけ」といっても、なかなか人生でそこまでの出会いってないんですが。
逆に、こういう状況になればはっきりいってチートです。
人生の充実度が爆上がりになります。
「そんな、尊敬できる人は周りにいない」
と、思うかもしれません。
しかし、現状、ネットもあるので
今の僕なら必死で探します。
見つけても会えない、ということももちろんあり得るので
僕は、2次元でも、フィクションの世界でも、行動の原動力になること
徹底的に、触れてきました。
はたからみれば、キモイと思われるでしょうが
あくまで行動の駆動力になると思えば、
あえて僕の方からオタクであると、流布する必要は特にありません。
なので、ぶっちゃけ、人によっては、僕がオタクだと知らない人も
学校にはいたでしょう。
趣味を共有できる友達もいなかったといわれるとその通りですが
もともとボッチにはなれていたので、友達をつくることが
オタクというか、フィクションの世界によりどころもを求める
目的でもなかった、ということです。
想いって、それ自体でかたちにならなくても、
ないと人生つまらないという意味では、やっぱり強いです。
僕は、最初は想いだけで生きてきたところもありますが、
僕にエネルギーや欲望の原動力なるような体験をして
自分を変えるような経験をすると、
人生の軸の部分では迷わなくなります。
結果的に、いい意味で、自分の欲望を喚起してくれるような
人や、会っていない誰かと出会うために、今があると確信できるようになりました。
感情ってどうしても期限付きで、いつかは摩耗するので
例えば、
「うぉぉぉぉ!こいつすげぇ!」
という風に、心が燃えている段階で、エネルギーをぶつけて
さらなる出会いを見つけないと、エネルギー切れになります。
かつて死んだ魚の目みたいな僕を思い出すと
それってかなり怖いです。
行動→新世界→行動→新世界
という、めちゃくちゃ冒険感ありますけど
こういうサイクルを回し続けられるように
僕は学んで行動し続けます。
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